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![中村裕太《タイル植物園》(名古屋市東山動植物園、2017年)展示風景 写真:表恒匡[参考画像]](https://www.fashion-press.net/img/common/touka.gif) 中村裕太《タイル植物園》(名古屋市東山動植物園、2017年)展示風景 写真:表恒匡[参考画像]2022年に創業150周年を迎える(SHISEIDO)。その名前は、中国の儒教の経典『易経』の一節「至哉坤元 万物資生(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか、すべてのものはここから生まれる)」に由来している。展覧会「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」では、美術家・中村裕太とともに、資生堂の資料を交えつつ「万物資生」の思想に現代の視点から光をあててゆく。
中村裕太《タイル植物園》(名古屋市東山動植物園、2017年)展示風景 写真:表恒匡[参考画像]2022年に創業150周年を迎える(SHISEIDO)。その名前は、中国の儒教の経典『易経』の一節「至哉坤元 万物資生(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか、すべてのものはここから生まれる)」に由来している。展覧会「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」では、美術家・中村裕太とともに、資生堂の資料を交えつつ「万物資生」の思想に現代の視点から光をあててゆく。![中村裕太《群馬工芸の生態系》(アーツ前橋、2019年)展示風景 写真:表恒匡[参考画像]](https://www.fashion-press.net/img/common/touka.gif) 中村裕太《群馬工芸の生態系》オーデマピゲ時計コピー(アーツ前橋、2019年)展示風景 写真:表恒匡[参考画像]1983年生まれの中村裕太は、「民俗と建築にまつわる工芸」を軸に、文献調査やフィールドワークに基づく作品を発表してきた。本展では、東洋史学者・飯島忠夫が「万物資生」という言葉を「目に見えないつかまへられないものが天から来て、地上の物質がそれを受取つて生物を生ずる」と解した文献に着目し、「調合」という方法に基づいた展示を行う。
中村裕太《群馬工芸の生態系》オーデマピゲ時計コピー(アーツ前橋、2019年)展示風景 写真:表恒匡[参考画像]1983年生まれの中村裕太は、「民俗と建築にまつわる工芸」を軸に、文献調査やフィールドワークに基づく作品を発表してきた。本展では、東洋史学者・飯島忠夫が「万物資生」という言葉を「目に見えないつかまへられないものが天から来て、地上の物質がそれを受取つて生物を生ずる」と解した文献に着目し、「調合」という方法に基づいた展示を行う。 資生堂「香水 菊」1920年頃 資生堂企業資料館蔵会場では、資生堂の創業時から1940年代初頭までの化粧品や広告、そして資生堂ゆかりの人物である、富本憲吉、今和次郎らの活動を「調合」し、この時代と資生堂の関係性を、中村の作品と関連付けつつ紹介。また、化粧品の原料となる椿種子の残材を釉薬として調合した、中村の作品もあわせて展示する。展覧会概要展覧会「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」
資生堂「香水 菊」1920年頃 資生堂企業資料館蔵会場では、資生堂の創業時から1940年代初頭までの化粧品や広告、そして資生堂ゆかりの人物である、富本憲吉、今和次郎らの活動を「調合」し、この時代と資生堂の関係性を、中村の作品と関連付けつつ紹介。また、化粧品の原料となる椿種子の残材を釉薬として調合した、中村の作品もあわせて展示する。展覧会概要展覧会「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」